睡眠はヒトにおいて重要な休息行動であり、慢性的な睡眠不足だけでなく「睡眠の質」の低下は、生活習慣病をはじめとした様々な疾患の発病・悪化因子となります。厚生労働省は健康日本21(第2次)による健康づくり対策を推進する中で、2014年に「健康づくりのための睡眠指針」を改良し、生活習慣病や精神障害の予防的意義を配慮したきめ細かい睡眠健康の在り方を提案しました。しかし、睡眠健康を測る「睡眠の質」が具体的に何を指すのか、どのような指標がどれだけ改善すれば良いのかに関して、より詳しい説明が求められています。
欧米では睡眠健康の指標として睡眠時間が多く用いられています。欧米の疫学調査で、成人では7時間の睡眠時間より短いと生活習慣病やうつ病を発症しやすくなり、死亡率も高まることが示されています。しかし、必要な睡眠時間には個人差があり、年代によっても変化することがわかっています。特に、加齢に伴い睡眠時間は短縮するとともに不眠症の有病率も高まることから、必要以上に長く床の中で過ごすと、かえって不眠を悪化させ健康被害が増える危険性が指摘されています。前述の疫学調査でも、睡眠時間が7時間より長くても、死亡率の増加につながることが示されています。
また、睡眠時間に関する疫学調査のほとんどは、主観的な(自覚的な)睡眠時間を扱っています。主観的な睡眠時間はしばしば、実際の(客観的な)睡眠時間とズレがあり、身体が必要とする休息時間を必ずしも反映しません。主観的な睡眠時間は、個人の睡眠習慣や、心理状態、持病の有無・種類、経済的状況等に強く影響されることもわかっています。さらに、睡眠時間には文化的な差も考慮する必要があるため、欧米の疫学調査の結果を日本国民の健康増進に利用する上では慎重さが必要です。
「睡眠の質」は睡眠時間とは独立し、身体的休息効果を反映する評価指標として慣習的に用いられている概念です。一般的に質の良い睡眠とは、ぐっすり眠れた満足感や疲れが癒された感覚を反映すると考えられ、睡眠時間(量)とは異なる側面から休息効果を評価した主観的体験であると考えられます。しかし、科学的には「睡眠の質」の定義は定まっておらず、健康増進に及ぼす影響を評価した研究も限られます。スタンフォード大学の研究者が開発したピッツバーグ睡眠質問票(Pittsburgh Sleep Quality Index: PSQI)は、「睡眠の質」の評価尺度として開発されましたが、実態としては不眠症を中心とした睡眠障害の評価指標や、睡眠時間などの量的評価も包含する総合評価であり、必ずしも上記定義にあてはまる「睡眠の質」を反映しているとは言えません。「睡眠の質」が健康増進に及ぼす影響を検討した研究のほとんどはPSQIを指標として用いていますが、PSQIはやや複雑な質問票であり、我々の普段用いる「睡眠の質」概念とはズレているため、「睡眠の質」評価指標として妥当とは言えません。さらに、「睡眠の質」を改善することが、休息を促進する、生理学的根拠を示すことも極めて重要です。
本研究の最終目的は「睡眠の質」を反映し、健康を維持する上で役に立つ指標を見出し、これの数値目標を探索することです。